はごろも訪問マッサージ(株式会社Weal) 代表取締役 鍜冶 誠一郎 様

はごろも訪問マッサージという名前に込めた、現場主義のスタイル

お仕事の内容について教えてください

鍜冶さん:株式会社Wealっていう名前で法人化してますけど、実際は「はごろも訪問マッサージ」っていう名前で知っていただいています。
もともとは個人事業主で始めたんですが、求人のこととか、社会的信用など、いろんな理由を考えて法人化したんです。
あと単純に「代表取締役」って言ってみたかったってのもあります(笑)
令和元年に法人化したので、今で7年目になりますね。

事業内容としては、いわゆる訪問型の鍼灸マッサージ治療院です。
医療保険を使ったサービスで、主に麻痺や拘縮(関節が動かしづらい状態)などで通院が困難な方が対象になります。
保険を使うには医師の「同意書」が必要なんですが、その制度に基づいて、自宅や施設に伺って施術しています。

訪問リハビリっていう言葉はよく知られてますけど「訪問マッサージ」って言うと、まだまだ「そんなのあるんですか?」って驚かれることも多いですね。
営業先はケアマネージャーさんが中心で、そこからのご紹介や、ドクターからの依頼、ホームページ経由など、いろんな形でご縁をいただいています。

デイサービスで送迎の経験があったおかげで、開業当初は地理もわかっていたし、ケアマネージャーさんとも顔見知りだったので、そこから繋がっていった部分も多かったです。
はじめは手探りでしたが、着実に信頼関係を築いてきた実感があります。

はじめは「かっこいいかも」から。迷いながらたどり着いた訪問マッサージ

今のお仕事を志したきっかけを教えてください

鍜冶さん:最初からこの道を目指してたわけじゃないんです。
高校時代、テニス部だったんですが、体を壊してしまって。
そんなときに、先生から整体を紹介されて、ちょっと調子が良くなったんです。

その経験が頭の片隅に残ってて、卒業のときに「こういう仕事、なんかかっこいいな」って思って、国家資格を目指すようになりました。
資格を取ってからは整形外科に就職して、8年ぐらい働きました。

でもその後は転々としてて「条件のいいとこないかな」みたいな気持ちで職場を変えてました。
そんな中、通院できなくて症状が悪化した患者さんと接することがあったんですよ。
その時に「家でも困ってる人いっぱいいるんやな」って思って。
そこから訪問マッサージという分野を知ったんです。

最初は富山の大手の訪問マッサージ会社に入ったんですが、創業初期で激務すぎて7ヶ月で限界がきました。
大沢野や八尾に飛び回って、夜遅くまで働いていました。
でも「やりがいはあったな」って記憶が残ってて。
それなら自分で始めたほうが早いって思って、思い切って独立しました。

定時で終わる病院に勤めながら、少しずつ準備を進めました。
開業届を出して、1日に1人か2人の施術をやってみて「これはちゃんと仕事として成り立つ」と確信を得ました。
ホームページも当時はパソコンが苦手だったのに、ホームページビルダーを買ってきて独学で作成。
手作り感満載の昭和なサイトだったけれど、それを見て実際に問い合わせが来た時は、本当に感動しました。

送迎していた時の利用者さんのお宅にもパンフレットを持ってご挨拶に回ったり、古巣のケアマネージャーさんを訪ねたり、地道に自分の足で広げていきました。
昔の同僚たちとバーベキューをしていた時には「こういう仕事を始めたいんだ」と熱弁をふるって、そこから別の施設に勤める知人が紹介をくれたり、自然と広がっていったんです。

否定されたくなくて、伝えたくて、手紙を書いた

それからは順風満帆に進んで行ったのでしょうか?

鍜冶さん:いやぁ、否定的な言葉を貰ったときは本当にしんどかったですね。(笑)
「認知症の人にマッサージして何の意味があるの?」って、それ以外もたくさんありましたけど。
そんなふうに言われると本当に悔しくて、どうしても黙っていられなかった。

だから僕は、その時に手紙を書きました。丁寧に、一生懸命、自分の思いを言葉にして。
「認知症の方こそ、こうした刺激が心身に良い影響を与えることがある。自分はそう信じて、責任を持って施術にあたっています」と。
読まれたかは分からないけど、それでも言いたかった。誤解されたまま終わりたくなかったんです。

もちろん、すべてのお医者さんがそうじゃない。
中には「頑張ってください」と手紙を返してくれる先生もいて、そんなときは感激しました。
だからこそ、報告書もただの義務にせず、できる限り自分の言葉を添えたり、感謝を手書きで伝えたり、人としての信頼関係を築けるように意識してきました。

残暑見舞いや年賀状にも、びっしりと近況報告を書きました。
「暑い日が続きますが、お身体ご自愛ください」と添えて。
形式だけじゃなく、自分の“人となり”を伝える手段のひとつだと思ってやってきたんです。

お医者さんやケアマネージャーさんとの信頼関係があるからこそ、僕らの仕事は成り立っています。
だから、スタンドプレーじゃなく、ちゃんと三角連携を意識して「この人なら任せられる」と思ってもらえるように努めてきました。

患者様の中にも、時には無理難題を言われたり、心無い言葉ををぶつけられたりすることもあります。
最初は「全部受け止めないと」と思っていましたが、今は無理せず、合わない方とは距離を取ることも覚えました。
自分に合わない人に引っ張られるより、自分のやり方を信じて、目の前の信頼してくださる人に誠実に向き合う方が、きっといい仕事ができると信じています。

「今日は水曜、鍜冶さんが来る日」──そのひと言が、僕のやりがい

仕事への想いを教えてください

鍜冶さん:今、高岡市の高齢化率って34%を超えてるんですよ。
要介護者も9,000人以上。その中には、いわゆる“リハビリ難民”みたいな方が本当に多くて。
病院である程度のリハビリが終わったら退院、でもその後通院もできないから、自宅で寝たきりになってしまう。
そういう人たちに関われるのが、僕らの仕事です。

マッサージで病気を治すことはできないけど、たとえば硬くなった関節を少し動かせるようにするとか、声かけをしながら体を動かすことで「前向きな気持ち」を引き出すことはできると思ってます。
実際、お試し体験のときに、普段ほとんど寝たきりの患者さんが、初対面の僕の前ではスッと起き上がってくださったことがあったんです。
その姿を見たご家族が涙を流してくれて…あの光景は今でも忘れられません。

「今日は水曜だから、鍜冶さんが来る日やね」と言ってもらえるだけでも、その人にとっての生活リズムや張り合いになる。
そんな存在になれることが、ものすごくやりがいなんですよね。

僕自身もそう。この仕事を通じて「自分らしく働けている」と感じています。
以前は大きな組織の中で窓際にいるような気持ちでいたけれど、今は地域で“マッサージの鍜冶さん”と呼んでもらえる。
役割を持って、ちゃんと認めてもらえる場所があるって、こんなに嬉しいんやなって思います。

富山がちょっと恥ずかしかった僕が、今は胸を張って「地元が好き」と言える理由

地域に根付いている印象が強いのですが、やはり地元愛でしょうか?

鍜冶さん:富山に帰ってきた当初は、正直なところ少し寂しさもありました。
東京で資格を取った頃は、都会のにぎやかさの中に魅力を感じていたし「富山ってどこ?」って聞かれても、意地でも言わないくらい、自分の出身地にコンプレックスすら感じていたんです。

でも、いざ戻ってきて、しばらくして新幹線も通って、少しずつ街の変化を感じるようになって。
「やっぱり富山、いい場所やな」と思うようになりました。
自然が近くて、食べ物もおいしい。特に高岡には伝統工芸もあるし、地元で頑張ってる若い人たちを見ると、自分も励まされるんです。

たとえば、僕の友人で、伝統工芸とアウトドアを組み合わせた商品を開発している人がいるんです。
久しぶりに会ったら、まるで別人のように自信に満ちてて、心からかっこいいなと思った。
そういう人たちの姿を見て「富山って挑戦する価値のある場所なんやな」って感じたんです。

僕の仕事は制度に基づいたものなので、ものづくりのような創造性とは違うけれど、それでも「地域に貢献する」という意味では共通している部分がある。
地元に根ざして、誰かの生活の一部になれるっていうのは、すごくやりがいがあります。

今は、昔のように富山を隠すような気持ちは全くなくて「高岡で訪問マッサージやってます」って胸を張って言えるようになりました。

拡大より、信頼。僕の仕事は「人に触れる仕事」だから

今後の展望を教えてください

鍜冶さん:今、基本的には僕ひとりで施術を行っているんですけど、ありがたいことにすぐに予約が埋まってしまって。
訪問マッサージを希望する方はたくさんいても、それに対応できる施術者が本当に少ないのが現状です。

実際、富山県全体で昨年マッサージ師として就職希望した人はわずか十数名だったと聞きました。
求人を出してもほとんど応募が来なくて。
だから一時は、自分で拠点を増やすのではなく、地域の治療院さんに一緒にやってもらえないかと、片っ端から電話してお願いして回ったこともあります。
断られることの方が多かったですが、その中でも何人かは「少しなら」と協力してくれて、今も週に数人の患者様対応をお願いしています。

でも、患者さんの中には「鍜冶さんにお願いしたい」と言ってくださる方も多くて。
他の方をご紹介しても「空くまで待ちます」と言ってくださる。
これはもう、物やサービスを売るビジネスじゃなくて、人を見て選ばれる仕事なんだなと実感しました。

だから今の展望としては「規模を大きくしていく」というよりも「関わる一人ひとりに誠実でありたい」ということに尽きます。
いつでも丁寧に、安心して任せてもらえる存在でいたい。
その信頼がまた次のご紹介につながるので、目の前の一人を大切にすることが結局は一番の展望だと思っています。

それでも、もし将来的に「地元を元気にしたい」「訪問マッサージをやりたい」という若い人が現れたら、僕は全力でサポートしたいです。
ノウハウは全部伝えるし、一緒に現場を回ることもできる。
その人がちゃんと独立できるようになるまで寄り添いたいし、独立後も支え合える関係を築けたら嬉しいですね。

情熱は、きっと伝わる。誰かの“やりたい”が動き出す日まで

若手世代へのメッセージをお願いします

鍜冶さん:これから富山で働こうとか、何か新しいことに挑戦しようとする若い人たちに伝えたいのは「熱意があれば道は開ける」ということです。
僕自身、何か大きな夢があったわけじゃないんです。
でも、昔の職場の仲間とバーベキューをしている時に、自分のやりたいことを熱く語ってたらしいんですよ(笑)。
あとで「お前、あの時すごい勢いで語ってたな」って言われて、自分ではそんなつもりなかったけど、それだけ思いがあふれていたんだと思います。

思いって、伝染するんですよね。本気でやりたいっていう気持ちは、ちゃんと周りに届く。
それで応援してくれる人が現れて、話を聞いてくれる人が出てくる。
そうやって少しずつ、信頼が広がっていくんだと思います。

逆に「このビジネス、儲かりそうだからやってみようかな」くらいの温度感だと、たぶん続かない。
流行りに乗るより、自分の中にある“これをやりたい”という純粋な気持ちが一番のエネルギーになると思うんです。

僕の場合は、「誰かの役に立ちたい」という気持ちがずっと根っこにあって、それを仕事にできていることが今の自分を支えてくれています。
だから、自分の心が本当に動くものを見つけたなら、迷わず一歩踏み出してほしいですね。

そしてその一歩が誰かにとっての希望になったり、地域を元気にするきっかけになる。
そんな仕事が富山にはまだまだたくさんあると思います。

▽取材先企業情報▽
株式会社Weal(はごろも訪問マッサージ)
〒933-0906
富山県高岡市五福町10-1
TEL:0766-54-5486
FAX:0766-54-5487
HP:http://hagoromo-houmon.com/

ライター:長谷川 泰我