受け継いだ音と味、未来へ——七福の挑戦と、富山に込める願い。
富山県・小矢部市。
この町の一角にある「七福」では、2つの文化が今も静かに受け継がれている。
ひとつは、地元の祭りに欠かせない“篠笛”。
そしてもうひとつは、北前船がもたらした食文化の名残である“こんか漬け”。
担い手は、神奈川から富山に通いながら活動を続ける姉・佐々治 千栄美さんと、
生まれ育った土地に根を張り、職人として笛づくりを続ける弟・谷口 正成さん。
「文化を守るって、続けること。好きでいること。」
二人が静かに紡ぐ“文化と暮らし”の物語を、対話形式で追りました。
篠笛とこんか漬け。受け継がれた“富山の音と味”
中林:まずはあらためて、お名前と屋号を教えていただけますか?
佐々治さん:名前は佐々治 千栄美です。ちょっと珍しい名前ですけど、名刺の通りで。
屋号は「七福(ななふく)」です。もともとは「合同会社七福」として登記していたんですけど、現在は個人事業主として運営していて、屋号としてそのまま七福を使っています。
中林:ありがとうございます。七福さんでは、どんな事業を展開されているのでしょうか?
佐々治さん:ちょっと一言では説明しづらいんですけど、メインで取り扱っているのは2つあります。
1つは「篠笛(しのぶえ)」の製造と販売。もう1つは「ニシンのこんか漬け」、いわゆる発酵食品の製造販売ですね。
…って聞くと、すごくバラバラなことやってるように思われるかもしれないんですが、どちらもルーツは富山の文化に深く根ざしているんです。
中林:確かに、笛と発酵食品…一見すると全く異なる事業のように感じますね。
佐々治さん:そうなんです。でも、両方とも“祭り”や“保存食”といった、富山の暮らしの中で自然と育まれてきたものなんですよね。
たとえば笛に関して言うと、うちの父が獅子舞が大好きで。県内外の祭りに家族で出かけては、獅子舞を見てまわるような家でした。
私は小学生の頃から父に笛を教えてもらって、当時は男の子しか出られなかった“囃子方”に、小矢部市内で初めて女の子として参加したんです。
中林:そうだったんですか!?
佐々治さん:笛に関しては、父が宮大工をやっていたこともあって、木工の技術があったんですね。そこから趣味の延長で笛づくりを始めて。
弟は本当に小さい頃から祭りの現場に出ていて、その笛づくりの技術を父から受け継いで、今では職人として独り立ちしています。
私は結婚を機に神奈川に移りましたが、弟はずっとこの仕事を続けていて、もう何十年もになります。
中林:もう一つの“ニシンのこんか漬け”の方は、どんな背景があるのでしょうか?
佐々治さん:これは私の母方の祖母から受け継いだ味です。祖母は高岡に住んでいて、99歳で亡くなるまで、ずっとその味を守っていました。
私と母でその味を継いで、今はここで商品化して販売しています。
もともとは漬物文化が根付いていた富山で、家庭ごとに味が違っていて…まるで“カレー”みたいに家庭の味があったんです。
塩辛くて食べにくいというイメージを持ってる方も多いですが、うちのは塩加減も発酵の具合も食べやすくしてあるので、試食して「懐かしい」と言ってくださる方も多いですね。
きっかけは“もったいない”。文化を絶やさないために
中林:こうした活動を、ご自身で“事業”として始めようと思ったのは、どんなきっかけがあったんですか?
佐々治さん:うーん…はじめから「事業にしよう」と思って始めたわけじゃなかったんです。
最初は本当に、祖母や父が残してきたものを「このままなくしちゃうのはもったいない」っていう気持ちからでした。
母が受け継いでいたこんか漬けも、年齢的にもう続けるのが難しくなってきて、「もうやめようか」っていう話も出たんです。
でも、それで終わってしまうのは寂しくて。
中林:それで、佐々治さんが引き継ぐことになったんですね。
佐々治さん:はい。神奈川に家族がいるので、最初は月に3回くらい富山に通って作業してた時期もありました。
でも、さすがに生活との両立が難しくなって…。今は月1〜2回のペースで来ています。
神奈川ではケアマネージャーの仕事をしていて、子どももいます。
なので、富山と神奈川を行き来しながら、両方の暮らしを大事にしつつ、できることを少しずつ、という形ですね。
中林:お子さんもいらっしゃって、仕事もされていて…本当に大変だと思います。
佐々治さん:大変ですけど、不思議と「やらなきゃ」って気持ちより、「続けたい」って気持ちが強いんですよね。
母と祖母から受け継いだ味を残しておきたいし、父と弟が大事にしてきた笛もなくしてほしくない。
そう思っていたら、自然とこの形になっていた、という感じです。
コロナが奪った“当たり前”。文化の断絶を肌で知った日
中林:続けていく中で、印象的な出来事や、転機になったエピソードってありましたか?
佐々治さん:やっぱり一番はコロナですね。お祭りが軒並み中止になって、町内の活動がすっかり止まってしまった。
うちの末っ子、神奈川にいるんですけど、ある時ふと「神輿ってなに?」って言ったんですよ。
それを聞いたとき、「あ、もう“祭りの記憶”が子どもの中から消えてるんだ…」って実感して、ショックでした。
中林:たった数年でも、文化って途切れてしまうんですね…
佐々治さん:そうなんです。5年って、大人にとっては「あっという間」でも、子どもにとっては人生のほとんど。
その間に経験しなかったことって、本当に“存在しなかったもの”になってしまう。
だからこそ、文化って「続ける」ことが何よりも大事なんだなって痛感しました。
弟はずっと祭りに出ていて、父から笛作りを受け継いでいるんですが、祭りがなくなっても練習だけは続けていて。
今では県内でも数少ない笛職人の一人になっています。
本当に熱心な人で「どうだった?」って感想を聞いてくるような、そんなタイプなんです(笑)
中林:すごく真面目というか、まっすぐな方なんですね(笑)
佐々治さん:そうですね。あと、弟が言ってたのは「文化を守るためには“始めやすさ”が必要だ」と。
横笛って最初は音が出にくいから、そこで諦めてしまう人も多いんです。
だからこそ、初心者でも吹きやすい笛を作るように工夫してるんですよ。
“音”と“味”がつなぐ、誇りと人の縁
中林:あらためてお聞きします。今のお仕事に対して、一番大切にしている想いってどんなことでしょうか?
佐々治さん:やっぱり「文化を絶やさないこと」ですね。
祖母の味、父の笛、どちらも私にとっては当たり前のものでしたけど、今になって、それを残していく責任を感じています。
“好きでいてくれる人がいる、必要としてくれる人がいる”——だから、なくしちゃいけないって思うんです。
中林:佐々治さんにとって、それはもう自然な流れだったんですね。
佐々治さん:そうですね。でも、笛に関しては、私よりも弟の方がずっと詳しくて。
ずっと祭りに出続けていて、笛も作り続けていて…。
笛に関しては本人に話してもらった方がきっと面白いと思うので、ちょっと呼んできますね。
——(数分後、弟の谷口さんが登場)
中林:谷口さん、よろしくお願いします!
先ほどから笛の話が出ていまして、ぜひ実際に作っておられる方の声も伺いたくて。
谷口さん:よろしくお願いします。笛の話でよければ、なんでも聞いてください(笑)
中林:谷口さんにとって、“笛”ってどんな存在ですか?
谷口さん:そうですね…やっぱり、自分で作った笛の音色で、地域のお祭りが成り立っていくのは本当に嬉しいことです。
1本の竹に穴を開けて、ちょっと細工するだけで音が鳴る。それだけで人が集まって、地域がひとつになる。
自分の笛が“地域の輪”のきっかけになることが、何よりの魅力ですね。
佐々治さん:笛って、本当に地域性が出るんですよ。同じ竹を使っても、音色やリズムのクセが全然違っていて。
太鼓や唄との相性もあるし、聞いていると土地の空気が感じられるような、不思議な楽器です。
谷口さん:しかも、祭りって1人じゃできないんです。
笛を吹く人、太鼓を打つ人、踊る人、見る人、それぞれが役割を持っていて、全員が揃って初めて成り立つ。
だから僕は、笛を作ることが“人と人をつなぐこと”にもつながっていると思っています。
佐々治さん:それって、こんか漬けにも似てるかもしれませんね。
最初は“ただの保存食”だったものが「懐かしい」「美味しい」って言ってくれる人の手に渡って、そこからまた人と人がつながっていく。
“音”と“味”って、全然違うようで、どちらもコミュニケーションなんですよね。
“富山を離れて気づく”、根っこにある暮らしと文化
中林:ここまでのお話を伺っていて、すごく富山に対する想いや愛情を感じました。
あらためてお聞きしたいのですが、お二人にとって“富山”って、どんな場所ですか?
佐々治さん:私、富山を離れてもう25年になります。
でも、離れて暮らしてみて初めて気づくんですよね「あ、富山ってやっぱり特別だな」って。
たとえば、うちの実家には大きな仏壇があって、母は毎朝お経をあげてるんです。
祖母の代からずっと続いている習慣ですけど、いま住んでいる神奈川では、そんな光景はほとんど見ない。
でも、富山ではそれが“普通の暮らし”として根付いてる。
そういう土地って、やっぱり大事だと思うんです。
中林:地域全体が文化を支えているというか…。
佐々治さん:そう。だから富山の文化って“人のつながり”とすごく結びついていると思います。
祭りもそうだし、漬物文化もそう。
たとえば、町内の寄り合いがあると、みんなそれぞれ家の漬物を持ち寄るんです。
「うちのこんか漬けはこう」「あそこの家の味は昔ながらでいい」とか、そうやって会話が生まれて、つながりができる。
文化って、そういう日常の中に根づいてるんだと思います。
谷口さん:僕は外に出たことがないぶん、正直そこまで考えたことはなかったんですけど、
でも祭りを通して、たくさんの人が“戻ってきてくれる”ってことには、いつも驚かされます。
正月には帰ってこないのに、若い人も祭りには必ず戻ってくる。それだけ富山の祭りって、人の心に根づいてるんですよね。
佐々治さん:そうそう。大学生になって県外に行った子たちも、「祭りの日だから」って言って帰ってくる。
何年ぶりでも、みんなちゃんと音を覚えてて、踊れるんですよ。
お祭りって、ただのイベントじゃない。
その人の中にちゃんと“残ってる”んです。
中林:富山って、戻る場所があるんですね。文化がそれを支えているというか。
佐々治さん:はい。だから私たちは、その“戻ってこられる場所”をちゃんと残しておきたいんです。
文化を守るっていうと大げさに聞こえるかもしれないけど、
日々の生活の中で、ちょっとした手間を惜しまずに続けていく。
それが一番の文化継承なんじゃないかなって思っています。
残すために、届ける。富山の文化を“受け取ってもらう”未来へ
中林:ここまでお話を伺ってきて、お二人の活動が“文化の継承”そのものだということを感じました。
今後、どのような展望を描いておられますか?
佐々治さん:まずは、必要としてくれる人のところに、ちゃんと届けていきたいです。
たとえば笛にしても、最近は「県内で置いてある店が少ない」っていう声もあって。
ネットで調べて、うちまでわざわざ来てくださる方もいます。
100本以上の在庫があることに驚かれる方も多いですね。
だからこそ「欲しい人に届かない」っていう現状はすごくもったいないと思うんです。
谷口さん:僕も同じ気持ちですね。今、笛を作る職人は県内でも3〜4人くらいしかいません。
その中でも、仕事としてやってる人は本当にわずか。
だからこそ、続けるだけじゃなくて、“広げていく”ことも必要なんだと思っています。
特に、祭りで使われる笛って、ただの楽器じゃないんです。
その人の土地、その人の音、その人の思いが詰まってる。
それを絶やさないようにしていきたいです。
佐々治さん:私も、今は「販売する」という形ですけど、それが目的ではないんです。
漬け物も笛も、食べてもらったり、吹いてもらったりすることで、“受け継がれていく”。
だから、まずは一口食べてみてほしい、一度吹いてみてほしい。
そんなふうに思って活動しています。
中林:いわば、「使ってもらうこと」が最初の一歩なんですね。
佐々治さん:はい。文化って、誰かに“手渡し”しないと伝わらないんですよね。
だから私は、作り続けることも大切だけど、同時に「ちゃんと届けること」も意識していきたいと思っています。
“好き”でつながる文化。未来の担い手たちへ
中林:最後に、この記事を読んでいる若い世代の方々へ、お二人から何かメッセージをいただけますか?
佐々治さん:富山から外に出た若い人たちって、別に故郷を捨てたわけじゃないと思うんです。
きっとまた帰ってくる機会もあるし、そのたびに「やっぱり富山っていいな」って思ってくれる人も多いんじゃないかなって。
だから、もし帰ってくることがあったら、ちょっとでいいから、富山の文化に触れてみてほしいなと思います。
谷口さん:僕はずっと富山にいる人間なので、外のことはあまり分からないけど…
でも、祭りの日に戻ってきてくれる若い人たちを見るたびに、やっぱりこの土地って“帰る場所”になってるんやなって思います。
だから、いつでも戻ってきてほしいし、また一緒に祭りやれたら嬉しいですね。
佐々治さん:文化って、最初から「継承しなきゃ」なんて思わなくてもいいんです。
「なんか好きだな」って思ったことがきっかけになって、気づけば続けてる——それでいい。
私たちも、祖母の味が好きだったから、父の笛が好きだったから、ただそれだけでここまでやってきただけなんです。
だから、みなさんにも、自分が「好きだな」と思えるものを、ぜひ見つけてほしいなと思います。
中林:ありがとうございます。僕たちも頑張っていきたいと思います!
今日はお忙しい中貴重なお時間をいただきありがとうございました。
佐々治さん/谷口さん:いえいえ、こちらこそありがとうございました!
ライター:長谷川 泰我