不動産業の枠を超え、街をつくる仕事
小泉商事さんの仕事について教えてください
小泉さん:弊社は不動産売買の仲介をメインに、自社で購入した土地建物の管理や運営も行っています。
いわゆる一般的な不動産業者が住宅や土地の売買や賃貸の仲介をメインにしているのに対し、当社は店舗や事業用地の仲介・開発に特化しているのが特徴です。
「ここのエリアにスーパーを誘致したい」
「新しく飲食店を開業するために適した場所を探したい」
「工場を移転したい」
こうした企業のニーズに応じて、適切な土地を見つけてきます。
しかし、そう簡単に土地を売買させてもらうことはできないんですよ。多くの地主様は、長年大切にしてきた土地を簡単には手放したくないものです。
そこで私たちは、契約期間満了後は地主様に必ず土地が戻ってくる「事業用定期借地(※)」という形で、20年や30年の契約で土地を貸し出し、そこに建物を建てる事業者をマッチングするという形を取っています。
そうすることで、地主様は土地を手放さずに有効活用でき、事業者様は必要なエリアに店舗やオフィスを構えられる。
大げさにはなりますが「街づくり」のような仕事をしています。
(※)事業用定期借地とは、事業目的で土地を借りる際に活用される借地契約の一種で、契約期間が10年以上50年以下と定められています。
契約期間が満了すると、更新されず確実に土地が貸主に返還されるのが特徴です。
父の代から続く不動産業を受け継ぐまで
創業の背景を教えてください
小泉さん:この仕事を始めたのは、父の影響ですね。
父は昭和50年(1975年)に「小泉商事」を創業し、今年でちょうど50年になります。しかし、私は最初から不動産の道に進んだわけではありませんでした。
もともと デザイン系の学校に通っていた私は、卒業後、広告代理店に就職しました。最初は制作サイドの人間として、チラシやCM制作に携わっていました。
しかし、抱えてる案件がひと段落したときに、社長から突然「暇なら営業してこい」と言われ、飛び込みで営業をしてみることになったんですよ。
当時、意外にも数十件の契約を取ることができたんですよね(笑)
「お前、営業向いてるんじゃないか?」そう言われたことを覚えています。
気がつけば、私は制作から営業に転身し、広告を売る側に回っていました。
客先の社長との会話から多くのことを学びましたし、30年も40年も長く生きてきた人と話すのが楽しくて。
しかし、営業成績を上げても給料には限界があることを知り、独立して広告代理店を立ち上げることを決意したんですよ。
広告業から不動産業へ転身した理由
広告業で独立したのが最初だったんですね
小泉さん:そうなんですよ。独立したあとの広告代理店は、イベント運営を中心に活動していました。
夏祭りやコンサートの企画、ポスターやチラシ制作などの仕事がメインでしたね。
しかし、あるとき父が体調を崩し、母から「お父さんの会社手伝ってみたら?」と言われたんです。
「不動産なんて全く興味がない」
最初はそう思ってましたが、ちょうど結婚を考えていたタイミングでもあり、広告業界の不安定さに不安を感じていた所でもあったんですよね。
次第に「試しにやってみようか」 という気持ちになりました。
とはいえ、やるからには父は簡単に跡を継がせてくれるわけではなかったですね。
「最初の給料はゼロ。仕事を取ってきたら、その半分をやる」
そんな条件で、当時は不動産業の世界に飛び込みました。しかし、最初の1〜2ヶ月は全く仕事が取れず、初めての報酬はアパートの仲介手数料の数万円でした。
「このままやっていけるのか?」
不安はありましたが、徐々に自分の人脈を活かし、大型の案件をまとめることができるようになりましたね。
法人化への道筋
本格的に代表就任した時の話を聞かせてください
小泉さん:私自身、この仕事が軌道に乗り始めると、次に考えたのが法人化でした。
当時はまだ父が個人事業として不動産業を営んでいましたが、取引が増えるにつれて、個人事業では限界を感じるようになっていましたね。
契約書ひとつ取っても、個人名での契約よりも法人名での契約のほうが信頼性が高まることも実感していました。
「今後、さらに事業を拡大していくためには、法人化が必要だ」
そう考え、父に話をすると「お前の好きなようにやれ」と言われたんですよね。
それが契機となって会社を法人化しました。
私としても「父の会社を継ぐ」のではなく「本気で父の会社を成長させる」ことこそが、私にできる親孝行だと思っていました。
今では、「お前の好きなようにやれ」 と言っていた父の言葉の意味が、少しずつ分かるようになったと思います。
眠れない日々を支えた妻の言葉、そして仲間の存在
それからは順調に運営していったのでしょうか?
小泉さん:会社を継いでからの数年間は、本当に苦しかったです。
特にしばらくは夜も眠れないほどの不安がありましたね。
不動産業は成功報酬なので、どれだけ動いても契約がまとまらなければ報酬はゼロです。
「今月は相談ばかりで、契約が一本も取れていない…」
そんな日が続くと、焦りと不安で頭がいっぱいになり、夜中に何度も目が覚めるような状態でしたよ。
そんなとき、 妻がふとこう言ってくれたんですよ。
「うまくいかんでも、私も働くからあんま心配しられんな」
その言葉に救われたのを覚えています「家族がいる、自分は支えられているんだ」と思えた瞬間でした。
それ以来、不安がゼロになったわけではありませんが、少しずつ「なんとかなる」と思えるようになり、次第に落ち着いて仕事ができるようになっていきました。
しかし、支えになったのは妻だけではありません。
私の周りには、信頼できる仲間たちもいました。
私は業界の「青年部」に入っていたのですが、そこで知り合った不動産業者たちにも相談して、
「どうやってこの仕事を取っているの?」
「お客様との信頼関係を築くにはどうしたらいい?」
そうやって聞くことで助けてくれた先輩たちの存在も大きかったと思います。
この経験から学んだのは「一人でできることには限界があるが、信頼できる人がいれば道は開ける」ということでした。
「一人でできることは限られている。でも、人とのつながりがあれば、どんな困難も乗り越えられる。」
これは、私が不動産業を通じて学んだ最も大きな教訓の一つですね。
富山の魅力を高めるために
今後の展望を教えてください
小泉さん:富山の街を発展させていくためには、「人が集まる仕組み」 を作ることが重要なんじゃないですかね。
特に、富山は娯楽施設やイベントが少ないという声も聞くじゃないですか。
「遊ぶ場所がない」
「若者が楽しめる場が少なく、県外に流出してしまう」
こうした声を聞くたびに、もっと地域の魅力を引き出せる場を作れないかと考えていますね。
20年前に開発が進んだエリアが次の更新期を迎える中で、不動産業を通じて、新たな展開ができれば面白いんじゃないかと思っています。
環状線沿いの店舗が、20年の契約満了を迎えていますし、ここから先、この土地をどう活用するか、次にどんな業態のテナントを誘致すべきか、慎重に考える必要があると思うんですよね。
「次の20年、この街をどうしていくべきか?」
街全体のバランスを見極め「新たな店舗や施設をどう配置し、地域全体の発展につなげるか」を考えながら、単なる不動産業ではなく「人をつなぎ、街をつくる仕事」を目指していきたいですね。
等身大の自分で信頼される
若い世代へのメッセージをお願いします
小泉さん:私はこれまで、多くの人に助けられながら商売を続けてきました。
「素直であること」
「人との関係を大切にすること」
これが、何より大事だと思っています。
営業の仕事は、かっこつけるものではありません。むしろ 自分をさらけ出すことが、信頼につながると思います。
わからないことは、わからないと言えばいい。恥ずかしがらずに学べば、助けてくれる人は必ず現れます。
私も、最初は不動産のことなんて何も知りませんでした。それでも、家族や周りの皆さんに支えられながらここまでやってくることができました。
等身大の自分で、人とのつながりを大切にすること。
これさえできれば、どんな仕事でもきっと道は拓けると思います。
ライター:長谷川 泰我